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第9話 大丈夫の癖

Author: 八月 猫
last update publish date: 2026-06-09 12:27:34

結局その日、私は一人でラーメンを食べて帰った。

本当はもっと洒落たものでも食べようと思っていた。

せっかく外食する気分だったし、少しくらい贅沢してもいいかなって。

でも店を探す気力がなくなってしまった。

駅前のラーメン屋に入り、カウンター席へ座る。

「ご注文どうされますか?」

「あ、醤油ラーメンで」

店員に答えながら、自分でも少し驚く。

私は本当は塩派だ。

でも悠斗が醤油好きだから、気づけば家でも醤油ばかり作るようになっていた。

私は箸を持ったまま、ぼんやり湯気を見つめる。

好きなもの。

最近、自分の『好き』がよく分からない。

ラーメンを食べ終えて店を出ると、夜風が少し冷たかった。

私はコートの袖を引き寄せながら駅へ向かう。

スマホは静かなままだ。

悠斗から連絡はない。

別に珍しいことじゃない。

飲み会の日は、終電近くまで帰ってこないこともある。

私はそういうものだと思っていた。

でも今日は、妙に胸が空っぽだった。

家へ帰る。

暗い部屋。

私は電気をつけて、小さく息を吐いた。

「……疲れた」

最近そればっかりだ。

バッグを置き、ソファへ座る。

その瞬間、スマホが震えた。

私は反射的に手を伸ばす。

悠斗かもしれない。

でも違った。

母からだった。

『元気? 最近ちゃんと食べてる?』

私は思わず苦笑する。

三十を過ぎても、母はまだ私を心配する。

『食べてるよ』

返信すると、すぐ既読がついた。

『ならいいけど。真琴は無理するから』

その文字を見た瞬間、胸の奥が少しだけざわつく。

無理。

私は無理なんてしてない。

たぶん。

『大丈夫』

そう送ろうとして、指が止まった。

……大丈夫。

最近、その言葉ばっかり言ってる気がする。

疲れても。

寂しくても。

悲しくても。

全部。

『大丈夫』

私はスマホを握りしめる。

その時、不意に昔の記憶が蘇った。

高校生の頃。

熱を出した私に、母が何度も聞いてきた。

『本当に大丈夫?』

私はそのたび、『平気』って答えていた。

母は困った顔をして、『真琴は我慢しすぎる』と言った。

でも私は、困らせない子でいたかった。

手のかからない娘でいたかった。

だから自然と、『大丈夫』が癖になった。

寂しくても。

辛くても。

助けてほしくても。

笑って大丈夫って言う。

その方が相手を困らせないから。

私はソファへ深く沈み込む。

静かな部屋。

時計の音だけが聞こえる。

その時、玄関のドアが開いた。

思ったより早かった。

私は慌てて立ち上がる。

「おかえり」

「……ただいま」

悠斗は少し酔っていた。

でも思ったほどじゃない。

「早かったね」

「二軒目で帰った」

靴を脱ぎながら、悠斗はふうっと息を吐く。

「なんか疲れた」

「お水飲む?」

「あー、ほしい」

私はすぐキッチンへ向かう。

氷を入れて、水を注ぐ。

身体が勝手に動く。

「はい」

「ありがと」

悠斗は一気に飲み干した。

「生き返る」

その顔を見て、私はまた少し安心してしまう。

……駄目だな。

私は心の中で苦笑する。

さっきまであんなに落ち込んでいたのに。

帰ってきてくれるだけで、全部どうでもよくなりそうになる。

「ご飯食べた?」

悠斗が聞く。

「うん。外で」

「へえ、珍しい」

「ラーメン」

「あ、いいな」

悠斗はネクタイを外しながら笑う。

「今度行こ」

その何気ない一言に、胸がきゅっとなる。

私は一瞬だけ期待してしまう。

本当に行けるのかな。

また今日みたいに流れたりしないかな。

でもそんなことを考えてる自分が嫌で、私は笑った。

「うん」

悠斗はソファへ座り、スマホを取り出す。

その時、通知画面が一瞬だけ見えた。

『秋山:今日はありがとです!』

私は視線を逸らす。

見なかったふりをする。

胸の奥がじわりと痛む。

でも。

「楽しかった?」

気づけば、また聞いていた。

悠斗は少し驚いた顔をする。

「飲み?」

「うん」

「まあ普通」

またその答え。

私は小さく笑う。

「そっか」

「真琴」

「ん?」

「なんか今日変じゃない?」

悠斗が不思議そうに私を見る。

私は一瞬だけ迷う。

今なら言えるかもしれない。

寂しかったって。

今日、一緒にご飯行けるの楽しみにしてたって。

でも。

喉の奥で言葉が止まる。

代わりに出てきたのは、いつもの言葉だった。

「……ううん。大丈夫」

その瞬間。

自分の胸の奥で、何かが静かに沈んでいく気がした。

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     その日から私は少しだけ悠斗のスマホが気になるようになった。 別に見るつもりはない。 そんなことしたくないし、したら終わりだと思う。 でも。 通知が鳴るたび、無意識に視線が向いてしまう。 悠斗が笑うたび、胸の奥がざわつく。 自分でも嫌だった。 こんなの重い彼女みたいじゃない。

  • 『尽くしすぎたのでやめました。今さら後悔しても遅いです』〜帰らない人を待つのは、もうやめます〜   第5話 知らない名前

     私はスマホの画面を見つめたまま固まっていた。『今日はありがとうございました!またみんなで飲みたいです!』 送信者は、『秋山 美咲』。 知らない名前だった。 でも、悠斗のスマホに届いた通知ではない。 私のスマホだ。 私はゆっくり画面を開く。 どうやらメッセージアプリの「知り合いかも」の

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